懐かしい物 発見
1981年(昭和56年) 8月23日 ・・・当時15才の社会人の俺
リッチーブラック・モア率いる「レインボー」日本公演の名古屋市公会堂ライブの時
入場係員か誰かかは 忘れましたが貰った記念バッチ
この時はね、前日の22日にラジオでレインボーの当日券発売❗を偶然聞き
同級生の菅原司を誘いダシュで名古屋市公会堂へ
午後イチには公会堂の入口に到着
冷たい大理石の上にそのまましゃがみこみ徹夜態勢
夜中には台風接近の暴風雨で最悪状態・・・
しかし、金欠少年のウチらに優しく接してくれる同じファンの大人達からの夜食と酒をご馳走になり 今でも兄さん達の顔をはっきり覚えていますね
翌23日のが午前中に整理券が配われ、一旦帰宅し夕方には公会堂に戻り入場、当日券は立ち見の階段通路でしたが、なんせ初ライブデビューがハードロックってことで鳥肌ブンブンで興奮していた記憶があります
16才の菅原司(普段着は特攻服 笑)
この後、彼は
直ぐに東京へ・・・赤羽根の日本料理店で板前修行、六本木のクラブ瀬◯奈でボーイ等々
住居は港区白金だけど、雑居ビルの一室で風呂無し1K生活
18の時に家出した私は居候、都会のド真ん中の銭湯の湯が黒色だったのには驚いたな
東京生活が窮屈に感じ 私は馴染めず、大府に戻り長距離ドライバーに
でも関東帰りの週末は たまに白金の貧乏部屋に立ち寄ってましたね
二十歳頃には二人とも生活は落ち着き、司が企画した沖縄旅行の思い出は蒼く懐かしいし、後のダイビングにハマるきっかけの旅行でした
たまに電話でお互いの夢や悩みを語り
気づけば、私は運送屋 彼は葬儀屋
遠く離れていても縁が切れないな・・・
※オマケ「いちご葬祭 菅原司」で検索すると真面目な動画が見れます